たのだつた。母狐に殘された幼い阿部《あべ》の童子《どうじ》のあはれさが、おなじ年頃のものの心へ働きかけたのはいふまでもないが、あの芝居の舞臺面はいかにも美しく情趣がこまやかだ。※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《らふ》たけてしかも鄙《ひな》に隱れ住む、すこし世帶やつれのした若い母が、窓のきはで機を織つてゐる夕暮れ、美しい都の姫がたづねてくる。ほんものの葛の葉姫と狐葛の葉との喜悲は、障子の紙一重の相違となり、破局となる。
花野を、紅《あか》い緒《を》の塗笠《ぬりがさ》をかぶつて、狐葛の葉が飛んでゆく舞臺の振《ふ》りは、どんなに幼心をとらへたらう。それは千種《ちぐさ》の花野であり、葛の葉の怨みからいつても、秋の野であり、秋の暮の出來ごとであるのを、どうして、菜の花と關聯して考へるのかといふと、日向雨《ひなたあめ》の仲だちがある。
陽光《ひ》がさしてゐて薄い雨が降ると、狐の嫁入りだ、狐の嫁入りだと、なんのわけか知らないが、子供たちは地べたに腹んばひになつて、地上を透して見ようとした。さうすると、お駕籠に乘つたのも、お供のさげてゐる提燈も見えるのだといふ、さういふ優《やさ》しげなことを耳にきいてゐるので、狐が化《ば》かすと馬糞を御馳走だといつて食べさせたり、こやし溜へお湯だといつて入れるのといふ、汚い方のことなどは笑つてしまつて、美しい方のことだけが聯想されるのだつた。それは、わたしたちが都會の子供で、狐については、本ものを知らず、彼の狡智《かうち》な顏つきに接せず、しかも、そんな、汚なく化《ばか》される人間そのものを、てんから馬鹿ものとして耳にしてゐたからなのかも知れない。
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ある日わたしは、大和の人に日向雨《ひなたあめ》が降ると、狐の嫁入りといふかときいた。この娘は高市《たけち》郡の八木の方で生れて、奈良市にも住み、河内にも吉野にも親類があつた。さういひますいひますと懷《なつか》しい郷土を思ひだして、にこにこしながらいつた。
萬葉集のなかに、たぶんたつた一ツであらうと思ふ狐の歌が、これもずつと前から好きなので
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さしなべに湯沸かせ子ども櫟津《いちひづ》の檜橋《ひばし》より來む狐《きつ》に浴《あ》むさむ
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といふのを覺えてゐる。これは、お酒をのんでゐるときに狐が鳴いたので
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