あったのであろう。その本尊《ほんぞん》が死を決したときに芸術も信仰も残らぬはずである。楠山氏への偏愛問題とかが脚本部動揺の基《もと》になっていたようであったが、彼女がこの後いくら生《いき》ていて誰れに愛を求めようとも、抱月氏の高さ、尊さが、胸に響きかえってくるばかりで、決して満足のあるはずはない。かの女《じょ》の死は当然のことである。
 私は彼女のことを詩のない女優といったが、あの女《ひと》の死は立派な無音の詩、不朽な恋愛詩を伝えるであろう。ほんとに死処《しにどころ》を得た幸福な人である。

 松井須磨子の名は、はじめて芸名をさだめる時に、印刷物の都合でせきたてられたとき、松代《まつしろ》から出たのだから松代須磨子としようといったら、傍から、まっしろ(真白)須磨子ときこえると茶化したので、それでは松井にしようといった。するとまた、まずい須磨子ときこえるといった。けれど「まずくっても好い」と小さな紙裂《かみき》れへ書いて出したのが、大きな名となって残るようになった。
 とはいえ彼女はやっぱり慾張っていた。死ぬまで大芝居《おおしばい》を打って、見事に女優としての第一人者の名を贏得《かちえ》
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