倉《いいくら》の風月堂という菓子舗《かしや》であった。義兄の深切で嫁《とつ》ぐまでをその家でおくることになったが、姉夫婦は鄙少女《ひなおとめ》の正子を都の娘に仕立《したて》ることを早速にとりかかり、気の強い彼女を、温雅な娘にして、世間並みに通用するようにと、戸板裁縫女学校を選《え》らまれた。
 彼女が後に文芸協会の生徒になって、暫時|独身《ひとりみ》でいたとき、乏しいながらも二階借りをして暮してゆけたのは一週に幾時間か、よその学校へ裁縫を教えにいって、すこしばかりでもお金をとる事が出来たからで、その時裁縫女学校へ通ったという事はかの女《じょ》の生涯にとって無益《むだ》なものではなかった。
 都の水で洗いあげられた彼女は風月堂の看板になった。――彼女は美しい、いや美人ではないということが時々持ちだされるが舞台ではかなり美しかった。厳密にいったなら美人ではなかったかも知れないが、野性《ワイルド》な魅力《チャーム》が非常にある型《タイプ》だ。
 正子が店に座るとお菓子が好《よ》く売れるという近所の評判は若い彼女に油をかけるようなものであった。縁談の口も多くあったが断るようにしているうちに、話
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