も出来にくいと、見てとったと思うのは推測にすぎるかもしれないが、低い鼻という愛敬にかたづけてしまった俊子女史の機智《ウィット》もおもしろい。いま米国《アメリカ》の晩香波《バンクーバー》に新しい生涯を開拓しようとして渡航した女史のもとに、彼女の訃《ふ》がもたらされたならばどんな感慨にうたれるであろう。
須磨子の年|老《と》った母親は他人が悔みをいったときに、
「どうせ死神につかれているのですから、今度死ななくなったって、何処かで死んだでしょうから」
と諦《あき》らめよく言切ったそうである。
彼女の故郷は? そうした母親の懐《ふところ》! 彼女が故郷への初興行は、たしかズウデルマンの「故郷」のマグダであったかと思う。そのおりの名声はすさまじいもので、県の選出代議士某氏は、信州から出た傑物は佐久間象山《さくましょうざん》に松井須磨子だとまで脱線した。けれどその須磨子の幼時は、故郷の山河は人情の冷たいものだという観念を印象させたに過ぎなかったのだ。
長野県|埴科郡松代在《はにしなごおりまつしろざい》、清野村《きよのむら》が彼女の生れた土地《ところ》で、先祖は信州上田の城主|真田《さなだ》
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