ここで字下げ終わり]
 がよく諷してゐる。

 私が、大正のはじめ京橋佃島にすんでゐたころでも、まだ押送り船が房州から、白帆をふくらませ、八丁櫓で波をきつて、鰹をつんではいつてきた。河竹默阿彌翁の「梅雨小袖昔八丈」の、髮結新三の長屋の場は、初鰹季節を描いて、その時分の初かつをのねだんまでが出てゐる。鰹賣が盤臺《ばんだい》の肩をかへながら、時鳥が鳴いた空をちよいと見上げるところがあるが、東京の空を、ほととぎすが啼いてすぎる夜があるといふと、てんから[#「てんから」に傍点]嘘だとあきれ顏をする人に、默阿彌さんは明治まで生きてゐた人で、本所にお住居ゆゑ、おききになつて景色にそへたのに違ひない、といふことをいつて、おしまひにする。
[#地から2字上げ](「三田新聞」昭和十年五月卅一日)



底本:「桃」中央公論社
   1939(昭和14)年2月10日発行
初出:「三田新聞」
   1935(昭和10)年5月31日
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2008年12月7日作成
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