初かつを
長谷川時雨
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)漁《と》れて
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)江戸|下町人《したまちじん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「纏」の「广」に代えて「厂」、11−2]
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鰹といふと鎌倉で漁《と》れて、江戸で食べるといふふうになつて、賣るも買ふも、勇《いさ》み肌《はだ》の代表のやうになつてゐるが、鰹は東南の海邊では、どこでも隨分古くから食用になつてゐる上に、鰹節の製造されたのも古いと見えて、社《やしろ》の屋根の鰹木は、鰹節をかたどつたものだと、「舍屋の上に堅魚を」と古事記にあれば、水の江の浦島の子をよめる萬葉の長歌には
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春の日の霞める時に住吉の、岸に出でゐて釣船の、とをらふ見れば古の事ぞ思ほゆ、水の江の浦島の兒が堅魚釣り、鯛釣りほこり七日まで――
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と、魚の王鯛と同格に、といふとをかしいが、共に荒魚《あらうを》であり、釣上げて見る目も立派なので、食べるのも好まれたことと思ふ。だが鰹は足が早く、鯛ほどもたないので山國が首都の時代には貴人の口にはいらなかつたので、江戸が都會になつてから、やつと生きたものと見える。大阪は大都市で、早く難波の宮もあつたが、鯛が本場だから幅をきかせ――但し閑がなくて大阪の鰹のことを探さなかつたのではあるが――た。
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目に青葉山ほととぎす初松魚
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これは土佐でも住吉でも、自由にはめられる、五月《さつき》日本のいさぎよさだが、鎌倉といふところに鰹の意義がある。鰹は勝男に轉じ、釣上げた姿もピンと張つてゐる強い魚で、牛の角でなくては釣れないといふし、大擧して寄せてくるといふところなど、勝夫武士とこぢつけないでも、その味と堅實さが、禪に徹し、法華經にひたぶるだつた鎌倉武士氣質に似てゐる。
だが、蜀山人の狂歌の
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鎌倉の海より出し初鰹、みな武藏野のはらにこそ入れ
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となぜなつたのであらう?
思ふに鎌倉武士のあらましは關東武士であつた。江戸の氣風は徳川權現樣三河御譜代の持參だとばかりは言へない。武藏特有の
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