肝つ玉のあつたことと、土地に着《ちやく》すると、土《つち》の風にも化することは論《あげつ》らへない。江戸開府以來、諸國人が多く集まつたが、これらが尋常なキモツタマでないこと、その人たちのつくつた市井は、デモクラチツクなものであり、むさし野の空《から》つ風は、それらの人を吹き晒しあげた。それが江戸ツ子であり、代表的勇みとなつたので、勇みは、いき[#「いき」に傍点]や、すゐ[#「すゐ」に傍点]なのとは異ふ。勇ましいといふ語の轉であり略ではなからうか。

 江戸人のなりたちは、士農工商のうち農だけが缺けてゐる。農の出の人も、農業では住へなかつた。士、工、商の三階級で、士と工とが江戸の氣風をつくつたものだといへる。知識階級の士は節度正しく、一死もつて奉公を念としてゐた。工は職場を命の捨どころ、武士の戰場同樣と心得てゐた。この二者が、明日の命をはからず、一念職に殉じようと心がけた。武士が食祿の多少でなく、心にはぢぬ生きかたをしようとし、美食せず、美衣せぬこと、文武を磨くことをもととし、帶刀を心の鏡として、錆ぬことを念願にした。工人(職人)は職場の印半※[#「纏」の「广」に代えて「厂」、11−2]の折目だつたのを著、晒しの下帶のいつも雪白なのを締め、女房はグチヤつかぬ炊きたての白い飯を辨當に詰めてやるといつた心意氣で、名を惜しみ、受持つ仕事に責任感が強かつたのが、自然女にまで行きわたり、割合に物堅く、キツプのよさとなり、負じ魂となり、死恥をさらすなのたしなみとなつた。
 世がくだるにしたがつて、それが表面化し、勇《いさ》み肌《はだ》といへば、職業的な任侠《にんけふ》の徒や、見得《みえ》を大切にする根性になりさがつたが、大根《おほね》はいまいつたやうなところにあつたのだ。士も工人も、揃つて商人を侮蔑してゐたことが、江戸文學、その他でも隨所に見えてゐる事實で、宵越の錢を持たないといふと、江戸|下町人《したまちじん》の惡い浪費癖のやうに今日の人はとるし、江戸末期の江戸人自體が、さうした間違つた解釋をしないでもなかつたが、あれは武人錢を愛せば、奉公の命が惜しくなる――溜ると汚くなるといつたものを、工人も持つてゐたので、手工業時代ゆゑ、工人は各自の名と手腕を實に大事にした。
 それとこれが結びついて、初鰹の氣負《きつぷ》のよさとなり、切れ味の冴えた肉のしまり、海から飛んできたやうな色艶や
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