が三人ある、畏《おそ》れ多いが神功《じんぐう》皇后様を始め奉り、紫式部、それから九女八だと仰しゃったそうだが――」
と、たいして親しくもない男へも言いかけたい気がした。
家《うち》では九女八が、訪問者へ、こんなふうな懐古談をしているときだった。
「母が再縁いたしますと、養父が自儘《じまま》な町|住居《ずまい》をしているような、道楽者の武家でして、私は十六の年、小石川水道町で踊の師匠をはじめました。ええ、私がごく小さい時分に、両国におででこ芝居がございましたのと、妥女《うねめ》が原《はら》に小三《こさん》という三人姉妹の芝居があり、も一つ、鈴之助というのがあっただけで、これらは葭簀張《よしずば》りの小屋でございますから、まあ私どもが、芝居小屋でやりました女役者のはじめのようなもので――初開場? 薩摩座《さつまざ》の出勤には、政岡と仁木。その次が由良之助でございました。」
語りさして、彼女もふと、白い雨のこぼれてくる、空を見上げていた。
底本:「新編 近代美人伝(下)」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年12月16日第1刷発行
1993(平成5)年8月18日第4
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