らぎにみたされた。
――好い娘《こ》をもつた。
そんなふうにホク/\した。娘《こども》といつてわるければ、優しい姪がいつてくれるやうな、ポタ/\した、滋味のしたたるやうな嬉しさだ。翼の強い若鳥が、木の實をついばんで來てくれるのを、好い氣になつて孝養をうけてゐるやうな有難いものだつた。
あたしは幸福《しあはせ》ものだ、おもひまうけない戰地へ、前線へ、慰問の手紙をもつていつてもらへる。そして、それが、多くの兵隊さんの目に觸れるやうにしてもらへる――
あたしの心は嬉しさに濡れてゐる。戰場には、やはり、子とも兄弟とも、甥とも思ふ人たちばかりで一ぱいだ。そこへ、あたしの慰問文が貼つてもらへるのだ。なんと書かうかと、幼兒にかへつたやうに、そればつかり考へてゐる。
幼少のをり、何處か、よいところへ連れて行かれようとすると、傍《はた》の者が、おつむ(頭)に乘つて行かうだの、おせなにくつ付いて行かうの、たんも(袂)へはいつて一緒に行かうかな、などといつたことまで思ひ出して、慰問文は、小學生の作文のやうに書きたいと、いそいそしてゐる。
にこにこしてゐる日は、にこにこすることが重なるもので、重い
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