慰問袋をぶらさげて、森茉莉さんがニコニコしながらはいつて來ていふには、
こしらへてゐるうちに、こんなに入れてしまひましたの。なんだか、この袋を貰つた兵隊さん、一番つまらなかないかと、さう思つて詰めてゐるうちに、こんどは、この袋に當つた人、一番|幸福《しあはせ》なんぢやないかと思つたりして――
と、いみじくもいつて、なごやかに笑つてゐる。茉莉さんは鴎外先生のお孃さんで、小堀杏奴さんの姉さんで、可愛い人だ。文壇女流のみなさんから、「輝ク」へよせられる、皇軍將士への慰問袋が、日に日にうづたかく重なつてゆくのも、なんともいへず嬉しい。
あたくしは今まで、兄弟にも親戚にも、一家から一人の兵士も出してゐないので、肩身がせまかつた。冬の土砂降りの日など、自分は自動車に乘つて、づぶぬれの兵隊の列に行きあつたりするとなんとも濟まなくてしかたがなかつたが、そのあたくしが、自分は生みもしないくせに、四人もの兵隊を、急に甥たちにもつことになつた。
四人の兵隊は、みんな一人づつ、妹弟《きやうだい》の子で、三人が三人の妹の、一人は弟の息子。一人の妹が二人の男の子をもつだけで、どうしたことかあとはみんな一粒だねである。
二人の男の子をもつ妹は、海軍軍人に縁づいて、早くから未亡人になつてゐたが、上の方の子は少年の時から、船のおもちやばかり造つてゐて、帝大工科在學中に機關中尉になり、今時局に、幾分の御奉公をいたすのに間にあつた。下の方の子は南洋へいつて、南洋開拓の些少の土持ちをしてゐる。
その次の妹は、獨り娘にもらつた養子が豫備少尉で、事變應召に勇んで出たのをはじめにして、つい兩三日前、すぐ下の妹の息子と、わたくしが預かつて、赤ん坊の時から育ててゐた、弟の子が、おなじ隊へはいつた。
これもつい先日、大尉に昇進した海軍の方のは別として、陸軍の兵隊に出た三人のうち、二人は帝大出、手許のが早大出だが、おなじ隊へはいつた二人と、南洋へいつてゐるのとが同年、氣質は異つてゐるが、仲が好い。
最近入隊した方の甥の一人は、おとなしい男で、教育學を專攻にして、コツコツとやつてゐたが、兵隊になる感想をきくと、インテリは大衆から浮いてゐるから、僕はみんなとほんとに一緒になれることを、よろこんでゐますといつた。
この子が少年のころ、親たちが北京に居たので、私の手許にも居たことがあるので、人混みの中などでは
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