故小山内薫氏が説明した。直木氏は、僕はその下駄の音に惱まされて痩《やせ》るといつた。その時も赤くなつてゐた。
 あの痩てゐる人が、とてもでつかい、角力さんのやうな大きな、赤い派手な座ぶとんを敷くのが好きなやうだつた。もひとつ、でかでかだつたのは去年の夏、紀尾井町の家で見た三面鏡の鏡臺、これは私の知つてるかぎり、どの役者の樂屋用のよりも大きかつた。
 震災の時、直木氏の家は燒け、三上の家は半破《はんこは》れだつたが、その半破れの家の門内から、邸町の警護に出るところの彼は、痩身長躯に朱鞘《しゆざや》の一刀、三上は洋服に大だんびらで、しかも誠に無能な二人であつた事を思出さずに居られない。そんなこんなが底にあるものだから、ある時、直木氏がずつと傑《えら》くなつてから、この人これで仲々|傑《えら》いと、みんなの前でいつてしまつたら、苦笑もせず、なかなかこれで傑いか? と繰返してつぶやくやうに言つてゐた。
 それはいいが、去冬逢つた時に、突然と、新聞に廣告したのだが、家政婦がたつた一人しか來てくれないとこぼした。私はうくわつにも、直木氏の周圍が淋しくなつてゐる家庭の事情を忘れて、しかも金澤の家から
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