い姿や、小意氣な浴衣の腕まくりをして、細い脛を出して安坐で話しながら、懷から取出すところの金入れといへば、四六版の本ならスポリとはひつてしまつて、まだ餘りがありさうなほど大きな、しかもいつでもぺかぺかに薄つぺらなのを出し入れするのでつひ笑つたら、これへ一ぱいに入れようと思つてゐるのだと、自分でもをかしいらしいのを妙に眞劍に言つてゐたのが、思ひ出される。
 震災後、大阪のプラトン社に居たころ、三上の用事でたづねていつたら、あの下駄の音では肝《きも》をひやす。あれをきくとかう體が縮んでしまふのだと、本當に肩をすくめ、頭を抱へて小さくなつてゐた。それはなんのことかと思つたらば、京都にとまつてゐた私は、出がけに小雨に降られたので、宿の人の親切から、京阪出來の中齒の下駄を穿《はか》してくれたのだつた。プラトン社は社長令夫人の父君の隱宅を使つてゐたので、入口が大阪によくある花崗石の敷詰めてある露路だつた。そこを私はからからと下駄の音をたてて訪ねていつたのだつたが、あにはからんや、大阪の花柳地の女――お勘定をとりにくる女は、雨が降らなくつても穿いてゐるのがその日和下駄だつたといふのだ。それは傍らから
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