三十五氏
長谷川時雨
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)三十六《みそろく》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)三十|七《しち》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](昭和九年四月 衆文)
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直木さん、いつまでも、三十一、三十二、三十三、三十四とするのときいたら、うんといつた。でも、三十五氏はまだいいが、三十六《みそろく》、三十|七《しち》、三十|八《はち》、それから三十|九《く》はをかしい。みそくふなんて味噌ばかりつけるやうで、まだ三十五氏《みそこし》の方が好いと言つたら、例の、毛の薄い頭の地まで赤くして顎を撫でながら、ふふ、ふふ、ふふと笑つた。あの人物《ひと》が赤面するなぞとは、ちよつと思へないであらうが、あんなに顏を赤らめる人はなかつた。だが、顎をささへて、輕く首を左右へ動かすか、または輕くうなづく時は機嫌がいいのらしかつた。
逼塞《ひつそく》時代の寒い日のある夕方、羽織の下に褞袍《どてら》を着て、無帽で麹町通りの電車停留場に立つてゐたとき、頭の毛が寒風にそよいでゐた細い、丈の高い姿や、小意氣な浴衣の腕まくりをして、細い脛を出して安坐で話しながら、懷から取出すところの金入れといへば、四六版の本ならスポリとはひつてしまつて、まだ餘りがありさうなほど大きな、しかもいつでもぺかぺかに薄つぺらなのを出し入れするのでつひ笑つたら、これへ一ぱいに入れようと思つてゐるのだと、自分でもをかしいらしいのを妙に眞劍に言つてゐたのが、思ひ出される。
震災後、大阪のプラトン社に居たころ、三上の用事でたづねていつたら、あの下駄の音では肝《きも》をひやす。あれをきくとかう體が縮んでしまふのだと、本當に肩をすくめ、頭を抱へて小さくなつてゐた。それはなんのことかと思つたらば、京都にとまつてゐた私は、出がけに小雨に降られたので、宿の人の親切から、京阪出來の中齒の下駄を穿《はか》してくれたのだつた。プラトン社は社長令夫人の父君の隱宅を使つてゐたので、入口が大阪によくある花崗石の敷詰めてある露路だつた。そこを私はからからと下駄の音をたてて訪ねていつたのだつたが、あにはからんや、大阪の花柳地の女――お勘定をとりにくる女は、雨が降らなくつても穿いてゐるのがその日和下駄だつたといふのだ。それは傍らから
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