溜息《ためいき》のように、
「それがなあ、汽車のなかででもで――汽車じゃというたところが四十分そこそこの横浜と東京の間で、それも買って食べるのではないのだから、ちゃんと、弁当箱を出すのだからわしの方が恥かしくって、顔見られるようで愁《つら》かったが、すまあしてやっとる。見とるとわしも腹が空《す》くが、横浜までは何も売ってはおらんので――」
 鼓村師は、大きな口と、小さな眼で笑った。
 そう言ううちに膝《ひざ》の上で、箏の調子はあっていた。大きな、厚い、角爪《かくづめ》が指に嵌《は》められると、身づくろいして首が下げられた。
 私も、ずっと離れて、聴くにほどよい席につき、お辞儀をすると、膝の上に手を重ねた。
 渡り廊の方に、聴きに寄っているものたちがいる様子で、父は向うの居間《いま》で聴いている気配だった。襖《ふすま》の横には妹たちが来た。
 荘重なる音色、これが箏かと思われるほど、他の流とは異なる大きやかな、深みのある、そして幅広い弾奏だった。十三弦は暴風雨《あらし》を招《よ》んで、相模《さがみ》の海に荒ぶる、洋《うみ》のうなりと、風雨の雄叫《おた》けびを目の前に耳にするのであった。切
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