とは中《ちゅう》茶屋も廃した。間口《まぐち》の広い、建築も立派な茶屋だけ残したのだから、華やかなはずだった。
 つい十年ほど前の、旧幕時代には、芝居者は河原乞食と賤《いや》しめられ、編笠《あみがさ》をかぶらなければ、市中を歩かせなかったという。差別待遇が甚《はなはだ》しかったため、七代目団十郎(隠居して海老蔵《えびぞう》、白猿《はくえん》と号す)は、
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錦《にしき》着て畳の上の乞食かな
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と白《もう》したほどのばからしさが、新富座開場式には、俳優の頭領市川団十郎をはじめ、尾上菊五郎、市川左団次から以下、劇場関係者一同、フロックコートで整列し、来賓には、三条|太政大臣《だじょうだいじん》を筆頭に、高級官吏、民間名士、外国使臣たちまで招待したのだった。
 それからの新富座は、外賓接待には洩《も》らされない場処《ところ》となって、ドイツ皇孫ヘンリー親王の来朝の時から、我国の宮殿下方《みやでんかがた》もお揃《そろ》いにて成らせられ、その時の接待係は、鍋島《なべしま》、伊達《だて》の大華族であり、そのあとへは香港《ホンコン》の太守《たいしゅ》、その次
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