いた。
 浜子のお母さんほど好《い》い人はない。そして、浜子の養子さんの賢吾《けんご》さんもまた、それに劣らずよい人で、浜子の芸術に尊敬をもっている。
 お母さんは奥深い土蔵《くら》前に陣どり、賢吾さんや、女中たちは、外《おもて》へ飛出した。坂の下へいったり、邸の裏へ廻ったり、ずっとさきの角《かど》まで行ったりして、只今《ただいま》は低く、只今のはハッキリと聴えたと、幾返りか報告した。
 聴えないというものはない。箏の音とは、はッきりわかりませぬが、響きはきこえましたと、ずっと、さきの方へいったものまでが知らせた。浜子は、ほ、ほ、とそれが例の、こごむようにして笑って、
「あなたへの同情は、素晴らしいものだ。」
 それが、では、やりましょうという、返事のかわりなのである。
「まあ、まあ、まあ。そうでございますか、浜さんが、やると申しましたか?」
 顔中が、笑《え》まいでくずれそうにいう母|御《ご》へむかって、
「あなた方は、おやっちゃんが来たときから、気持に縛《しば》られてしまっていたのですよ。」
と、もう彼女は、楽劇「浦島」の初版本を出して来て、わたしのと突きあわしている。
 改めて私は、もう一度、一番低い音をきかせてもらった。
「この絃《いと》を、もう三本か五本足して、箏の丈《たけ》を、もう一尺ばかり長くして見ようか。」
 私の空想は飛拍子《とっぴょうし》もないことを言い出す。と、浜子は咄嗟《とっさ》に、
「わたしというものを、生み直させなければ、それは不可能でしょう。」
 彼女はクックッ、おかしそうに、機嫌よく笑っている。わたしは、人並より小さな彼女を見直していった。
「しようがないな。」
「ほんとにしようがない。これで勘弁しといてもらいましょう。」
 大正三年の二月、狂言座は、夏目漱石、佐佐木|信綱《のぶつな》、森鴎外、坪内|逍遥《しょうよう》、という大先輩の御後援をいただいて、鴎外先生は新たに「曾我兄弟《そがきょうだい》」をお書き下さるし、坪内先生は、「浦島」の中之段だけ、めちゃくちゃにいじるのを御寛容くださるし、松岡映丘《まつおかえいきゅう》氏は、後景《はいけい》、衣装を全部引きうけ、仲間になって下さった。これは、前回に書いた舞踊研究会の「空華《くうげ》」の時、松岡さんと、私の好みと、鈴木鼓村さんの箏曲《そうきょく》とがぴったりしたので、松岡さんが進んで会
前へ 次へ
全32ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング