んまつ》を語りますと、主人のいわれるには、思い当ることがあるというのです。そのお家《うち》は近江源氏佐々木《おうみげんじささき》家と共に、奥州へ下向《げこう》されたという古い家柄で、代々|阪上田村麿《さかのうえたむらまろ》将軍の旧跡地《きゅうせきち》に、郷神社《さとじんじゃ》の神官をしていらっしゃるとかで、当主より幾代か前の時、長く病《わず》らって、一間《ひとま》に籠《こも》ったまま足腰のきかなかったおばあさんが、ふと陰《かげ》をかくして、行方知れずになったということがあるというのです。そこで水の底で助けて帰されたことを、薬売りが咄《はな》しますと、主人も驚いたには違いありませんが、その御主人の言葉に「毎年《まいねん》秋祭りの前後に、はげしい山おろしが吹荒《ふきあ》れると、中妻のおばあさんが来たということを、里の者は何の訳か言いつたえている。春の祭りがすむころ吹くと、おばあさんが帰ったという。」ときいて、薬売りがぞっ[#「ぞっ」に傍点]としたのは、水の底にいたおばあさんが「私はこんなに遠くにいても、家《うち》のことや村のことは守っている。」と言ったのを覚えていたからなのでした。なんでも
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