私の顏
長谷川時雨
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)分明《わか》らなからうと
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ]――十三年七月一日・アサヒカメラ――
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寫眞を出して並べたわたくしの顏は、どれもこれも、みんな違つてゐる。それは、自分の顏であるから、見違へるわけはないが、體つきと、着物と、髮の具合をとりかへたらばちよいと自分でも分明《わか》らなからうと思ふのさへある。
その時の氣分がこんなにムラなのかしら、と、反省させられるのだが、わたしはバカで、どうも、種々なことが、うちむかう人の氣分を察しすぎて、やりきれないほど疲勞《くた》びれてしまふのが癖で、そのあとで寫すと、屹度影響してゐるのでもあるだらう。
で、誰しもがさうであらうが、朝起きた時とか、机にむかつてゐる時とかが、ほんとの自分の顏であると思ふが、寫眞には、殆どその顏がない。かつて、十五の歳の新春、友達と妹と四人で、金三十錢で手札形三枚の早取り寫眞をうつしたことがある。十五島田といつて、なんでも十五歳の春の三ヶ日のうちに、島田髷の初結ひを一度し
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