したちは、充分に見た。長く曳《ひ》いた引き裾《ずそ》の、二枚重ねの褄《つま》さきは、柔らかい緑色の上履《スリッパ》の爪《つま》さきにすっとなびいている、紫の被衣《ひふ》のともいろの紐《ひも》は、小高い胸の上に結ばれて、ゆるやかに長く結びさげられている。
胸の張りかた、褄の開きかた、それは日本服であって立派な夜会服《イブニング》のかたちだ。肩から流れる袖のひだ[#「ひだ」に傍点]など、実になめらかに美しい。そして、胸のふくらみから腰から脚へかけての線など、その豊饒《ほうじょう》な肉体の弾力のある充実を、めざましく、ものの美事に示している。
切子《きりこ》の壺《つぼ》のような女性《ひと》だ、いろんな面を見せてふくざつにキラキラしている。
気の弱い男だったらあがってしまうだろうな。と、その個性の高い香気を讃美しながら、ひきつける魅力の本尊は何処《どこ》かと、彼女の眼を見た。
彼女の双眼は、叡智《えいち》のなかに、いたずら気《ぎ》を隠して、慧《さか》しげにまたたいていた。引き緊《しま》った白い顔に、黒すぎるほどの眼だった。もとより黒く墨を入れているのでもなければ睫毛《まつげ》に油をうけているのでもなく、深い大きな眼に、長すぎるほどな睫毛が濃かった。眉《まゆ》がまた、長くはっきりとしていて、表情に富んでいる。
――晴れ曇る、雨夜《あまよ》の、深い暗《やみ》の底にまたたく星影――そんなふうに、彼女の眼はなんにも、口でいわないうちに何か語りかけている。
彼女が立ったとき、椅子のふちにかけた手は、妖《あや》しく光った。指輪にしてはあまりにきらめかしいと見ると、名も知らないような宝石《たま》が両の手のどの指にも煌《きら》めいているのだ、袖口がゆれると腕輪の宝石《いし》が目を射る、胸もとからは動くとちらちらと金の鎖がゆれて見える。
彼女の毛は、解いたならば、昔の物語に書いてある、御簾《みす》の外へもこぼれるほど長いに違いないほどたっぷりと濃いのを、前髪を大きく束髪《そくはつ》も豊かに巻いてある。
「こうして、ちゃんとしてお目にかかるのははじめてだけれど、あなたはあたくしのことはよく御存じだから――たったひとつあなたには聴いておいて頂きたいことがあるのよ。」
彼女はあたしの友達の、箏《こと》の名人の浜子《はまこ》を見てつけたした。
「折角《せっかく》お招き申してもおさびしいといけないと思って、一番仲のよいお友達と御一緒にと申しあげましたの。」
一風も二風もある浜子は、その光栄を、軽く頭をさげておいて先刻《さっき》のふくみ笑いをまだつづけている。
合客《あいきゃく》は、ある画伯の夫人と、婦人雑誌で名の知れた婦人記者|磯村《いそむら》女史だった。その人が、欣々さんからの使者にたってて、出ぎらいだったわたしを引出したのだった。
「美人伝は、こちらがお書きになってらっしゃるから、いけないけれど――」
と、画伯夫人は、列伝体のものを、欣々女史の名で集めて残したらよかろうということを、しきりに勧めた。
「そういえば――」
と、それが言いたい、今夜の招待《まねき》だとも知れぬように知れるように彼女は言いだした。
「あたしのように、血縁のものに縁の薄いものがありましょうか、あたくしの母は、十六歳であたくしを生んだといいますが、物心《ものごころ》づいてからは、他人に育てられましたのよ、だから、生《うみ》の母にも逢わずに死なせ、その実母《ひと》の父親――おじいさんですわねえ、その人は、あたしが見たい、一目逢いたいと、それだけが願望だったというのにこれも隔てがあって逢わずに死なせてしまいましたわ。実父の家とは、父の死後に、義母|姉妹《きょうだい》の交わりをするようになりましたけれど――」
その、哀れなはなしは、わたしの小さな美人伝に書いたことなのでみんな知ってはいたが、いたましい思いに眼を伏せていた。
悲しい事実も、盛時《さかり》の彼女には悲話は深刻なだけ、より彼女が特異の境遇におかれるので、彼女は以前《もと》から隠そうとはしなかった。ただしんぼうのならないのは、子供があるといわれることだと彼女はいった。
「私に、子供があってくれればですが、でも、ないものをあるといわれるのは、嫌《いや》なものねえ。ある時、あなたの子だと、名乗っているものがある、それが誠に美しい容貌《ようぼう》の男の子なので、誰しもそれを疑わずにその者のいう通り、あなたの隠し児《ご》であるのかと信じている。という、便りをきかせてくれたものがあったのです、ええ拵《こし》らえものですもの、でも、驚きました。」
さまざまな手配をして、ようやく分明《ぶんみょう》にしたのだといって、
「美しい人に似ているといわれた心地《ここち》よさから、つい名を騙《かた》ったというのですの。その子供も、
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