いといけないと思って、一番仲のよいお友達と御一緒にと申しあげましたの。」
一風も二風もある浜子は、その光栄を、軽く頭をさげておいて先刻《さっき》のふくみ笑いをまだつづけている。
合客《あいきゃく》は、ある画伯の夫人と、婦人雑誌で名の知れた婦人記者|磯村《いそむら》女史だった。その人が、欣々さんからの使者にたってて、出ぎらいだったわたしを引出したのだった。
「美人伝は、こちらがお書きになってらっしゃるから、いけないけれど――」
と、画伯夫人は、列伝体のものを、欣々女史の名で集めて残したらよかろうということを、しきりに勧めた。
「そういえば――」
と、それが言いたい、今夜の招待《まねき》だとも知れぬように知れるように彼女は言いだした。
「あたしのように、血縁のものに縁の薄いものがありましょうか、あたくしの母は、十六歳であたくしを生んだといいますが、物心《ものごころ》づいてからは、他人に育てられましたのよ、だから、生《うみ》の母にも逢わずに死なせ、その実母《ひと》の父親――おじいさんですわねえ、その人は、あたしが見たい、一目逢いたいと、それだけが願望だったというのにこれも隔てがあって逢わずに死なせてしまいましたわ。実父の家とは、父の死後に、義母|姉妹《きょうだい》の交わりをするようになりましたけれど――」
その、哀れなはなしは、わたしの小さな美人伝に書いたことなのでみんな知ってはいたが、いたましい思いに眼を伏せていた。
悲しい事実も、盛時《さかり》の彼女には悲話は深刻なだけ、より彼女が特異の境遇におかれるので、彼女は以前《もと》から隠そうとはしなかった。ただしんぼうのならないのは、子供があるといわれることだと彼女はいった。
「私に、子供があってくれればですが、でも、ないものをあるといわれるのは、嫌《いや》なものねえ。ある時、あなたの子だと、名乗っているものがある、それが誠に美しい容貌《ようぼう》の男の子なので、誰しもそれを疑わずにその者のいう通り、あなたの隠し児《ご》であるのかと信じている。という、便りをきかせてくれたものがあったのです、ええ拵《こし》らえものですもの、でも、驚きました。」
さまざまな手配をして、ようやく分明《ぶんみょう》にしたのだといって、
「美しい人に似ているといわれた心地《ここち》よさから、つい名を騙《かた》ったというのですの。その子供も、
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