い大形の鞘形《さやがた》――芝居で見る河内山《こうちやま》ゆすりの場の雲州《うんしゅう》松江侯お玄関さきより広大だ、襖が左右へひらくと、黒塗金紋|蒔絵《まきえ》のぬり駕籠《かご》でも担《かつ》ぎだされそうだった。
「これはどうも――平民は土下座《どげざ》しないと――」
と、平日《いつも》は口重《くちおも》な、横浜生れではあるが、お母さんは山谷《さんや》の八百善《やおぜん》の娘であるところの、箏《こと》の名手である友達は、小さな体に目立《めだた》ない渋いつくりでつつましく、クックッと笑った。
 気持ちの好《い》い素足《すあし》に、小倉《こくら》の袴《はかま》をはいた、と五|分苅《ぶが》りの少年書生が横手の襖の影から飛出して来て広い式台に駈《か》けおりて、
「どうぞ。」
と、招いた客の人相をよく言いきかされて、呑込《のみこ》んでいるように笑顔で先導する。
 次の間には、女の顔が沢山出むかえた。
「さあ、こちらへ、さあこちらへ。」
 招じられた客間は、ふかふかした絨毯《じゅうたん》、大きな暖炉《ストーブ》に、火が赤々としていた。
 春には寒い――日本の弥生宵節句《やよいよいぜっく》には、すこしドッシリした調子の一幅《いっぷく》の北欧風の名画があったともいえようし、立派な芝居の一場面が展開されるところともいえもしよう形容を、と見るその室内は有《も》っていた。
 欣々夫人の座臥《ざが》居住の派手さを、婦人雑誌の口絵で新聞で、三日にあかず見聞《みきき》しているわたしたちでも、やや、その仰々しい姿態《ポーズ》に足を止《とど》めた。
 客間《へや》の装飾は、日本、支那、西洋と、とりあつめて、しかも破綻《はたん》のない、好みであった、室の隅《すみ》には、時代の好《よ》い紫檀《したん》の四尺もあろうかと思われる高脚《たかあし》の卓《だい》に、木蓮《もくれん》、木瓜《ぼけ》、椿《つばき》、福寿草などの唐《から》めいた盛花《もりばな》が、枝も豊かに飾られてあった。大きなテーブルなどはおかないで、欣々女史はストーブに近くなかば入口の方へと身をひらいて、腕凭椅子《うでかけいす》のゆったりしたのにゆったりと凭《よ》りかかっていた。
 彼女は、驚嘆したであろう客の、四《よ》つぶの眼の玉を充分に引きよせておいて、やおら身じろぎをした。立上って、挨拶《あいさつ》をしようとするのだ。
 それまでに、わた
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