ました。私がはじめて淡路町へいったころは、毎晩宴会のようでした。あっちにもこっちにも客あしらいがしてあって――江木の権力《ちから》と自分の美貌からだと思っていたから。だから顔が汚なくなるということが一番怖《こわ》い、それと権力も金力も失いたくない。それが、震災で財産を失《なく》したのと衷《あに》に死なれたのと年をとって来たのとが一緒になって、誰も訪《たず》ねて来なくなったのが堪《たま》らなかったらしいのです。よく私に、夫に死なれて後《のち》誰も来なくなったかと聞きました。お姉さまの周囲《まわり》の人と、私の方の人とは違うから、私の方は今まで通りですというと、変に考え込んでしまって――財産がすくなくなったっていつでも他《ほか》のものなら結構立派に暮してゆけるだけはあったのですし、今思えば、京都の方へ旅行するから一緒に来てくれないかといいました。そんなこと言ったことのない人でしたが、よっぽどさびしくなったのだと見えて、練馬《ねりま》の宅《うち》には離れも二ツあるから、一緒に住まないかとも言いました。二男を子にくれないかともいいました。けれどあんな気象の人ですからどこまで本気なのかわからないので誰も本気で聞かなかったので、あとでは強い人があれだけいったのには、いうに言えないさびしさがあったとは思いましたけれど――
そうそう、よく死ぬのは何が一番苦しくないだろう。縊死《くびくくり》が楽だというけれどというので、いやですわ、洟《はな》を出すのがあるといいますもの、水へはいるのが形骸《かたち》を残さないで一番好《い》いと思うと言いますと、そうかしら、薬を服《の》むのは苦しいそうだね。と溜息《ためいき》をついたりして、変だと思った事もあったのですが、大阪へいっても死ぬ日に、たった一人で住吉《すみよし》へお参詣《まいり》に行くといって、それを止《と》めたり、お供《とも》がついていったりしたら大変機嫌がわるかったのですって、それから帰って死んだのですが、あとで聞くと、住吉は海が近いのですってねえ。」
わたしは静にきいていた。故|衷《ちゅう》博士がこの姉妹《はらから》ふたりを並べて、ませ子は部屋で見る女、栄子は舞台で見る女といったというが、わたしは、老年の衷氏の前にいる欣々女史は孫、もしくは娘のような態度で無邪気そうに甘えていたことを言って見た。
ませ子さんは言う。
「姉は利口で
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