揺にも押しゆさぶられていた。
 せわしさに、昨日《きのう》の人を思出していられないというふうな、世の中の目まぐるしさだった。
 ある日、浜子が来て、
「そこまで、江木《えぎ》さんが来たのだけれど、急がしいといけないから、また来ますって。」
「あら、帰ったの。」
 あたしは惜《おし》がった、それはいつぞや、帰りぎわに、淡路町の邸《やしき》で、静な室を二室抜いて、彼女の篆刻《てんこく》が飾ってあったのを見せられた時、どれか上げたいといったのを、またの時にと急いで帰ったばっかりに彼女の篆刻は、あすこに並べてあっただけは、一個《ひとつ》も残らず焼失したことの惜《おし》さを、なぐさめてあげたい思いで一ぱいだったからであった。
 欣々女史の書画――篆刻の技《わざ》は、素人《しろうと》のいきをぬけて、斯道《しどう》の人にも認められていたのだ。
 丁度、私は牛込左内町《うしごめさないちょう》の坂の上にいて、『女人芸術《にょにんげいじゅつ》』という雑誌のことをしている時だった。二階の裏窓から眺めると、谷であった低地《ひくち》を越して向うの高台《たかみ》の角の邸《やしき》に、彼女は越《こ》して来ていた。浜子もあまり遠くないところに移って来ていた。
「もう直《じき》に、練馬《ねりま》の、豊島園《としまえん》の裏へつくった家《うち》へ越すので『女人芸術』のと、あなたのとの判《はん》をこしらえてあげたいって。」
 そういった浜子は、何処かさびしげだった。自分も、横浜のとても好《い》い住居《すまい》も若い時から造らせた好い箏《こと》も、なにもかも震災の難にあって、命だけたすかった、身に覚えのある痛手《いたで》なので、
「江木さんもさびしいでしょうよ。」
と、たった一人の孤独なので、此処まで来るにも、手提《てさ》げを二ツ、鍵《かぎ》やら銀行の帳面やら入れてさげてこれは大切だといったと語った。あの女性《ひと》が――と、聴くものも、いうものも、ただ顔を見合った。また、その次だった。もうその時分には、練馬の新築に越していたのだが、
「江木さんところから今朝《けさ》、真新らしい萌黄《もえぎ》から草《くさ》の大風呂敷包《おおぶろしきづつみ》がとどいたから、何がこんなに重いのかと思ったらば、土のついた薩摩芋《おいも》で。」
と、浜子はおかしがりながら、何か気にかかるふうでもあった。
 それから間もなく、彼女
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