かく、その棹のさきへきたらば、またそのさきへ一足《ひとあし》でも進んでゆくことだ。いいか、棹が百尺あつて、その百尺だけあるいて、ああもうこれでいいと思つたのではいけない、そのさきへ、一足でも出てゆくのだよ――と。
わたくしの生れ育つた場所は、東京日本橋區内の中央《まんなか》でした。その横町に、小さい、甚だ振はない、尋常代用小學校があり、校長と、教師が一人、あとは校長さんのお母さんが習字や裁縫を、求める人にだけ教へてをりました。いはば家族的な、私塾のやうなもので先生も兒童ものんき[#「のんき」に傍点]でしたから、初春《はつはる》に、學校と、自分の宅《うち》へと張り飾る大字を、席書きといつて年末に書くのでした。十二月|一月《ひとつき》は、月の初めから、ほかの學課はなく、その習字の稽古と、お墨摺りで日をおくつて樂しんでをりました。
子供といふものはをかしなものです。夏の日、蝉をとつてゐても、その棹の頭を見ると、ふと、
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百尺竿頭更一歩進
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といふ句がうかび出すのです。今日のやうに樂しい郊外散歩などがない時分、父につれられて、本所や向島の釣り
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