つくらせられてしまうよといったらば、いや決して僕は魅惑されないといっていたのが、いつか銀の猫をつくって、呈上してしまって、そういったものへは内密にしていた。だが、それが縁で、デスマスクはその人がつくったということだ。

[#ここから2字下げ]
あなかしこ神にしあらぬ人の身の誰《たれ》をしも誰《た》が裁くといふや
ただひとりうまれし故にひとりただ死ねとしいふや落ちてゆく日は
をみなはもをみなのみ知る道をゆくそはをのこらの知らであること
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]――歌集『薫染《くんぜん》』より――

[#ここから2字下げ]
はつ春の夜《よ》を荒るる風に歯のいたみまたおそひ来ぬ――
[#ここで字下げ終わり]
 この最後の一首は、磯辺《いそべ》病院で失《う》せられた枕《まくら》もとの、手帳に書きのこされてあったというが、末の句をなさず逝《ゆ》かれたのだった。

「嵯峨《さが》の秋」という脚本のなかで、蓮月尼《れんげつに》には、こう言わせている。
[#ここから2字下げ]
みめよい娘《こ》じゃとて、ほんに女は仕合せともかぎりませんわいな。
おお、そうですぞ、おまえさんの正直な美しい恋のまことが、やがてきっと、大きな御手《みて》にみちびかれてゆきまする。
[#ここで字下げ終わり]
 昭和三年一月十六日より歯痛、発熱は暮よりあった。十七日、磯辺病院へ入院、気管支炎も扁桃腺《へんとうせん》炎も回復したが、歯を抜いたあとの出血が止まらず、敗血症になって、人々の輸血も甲斐《かい》なく、二月七日朝絶息、重態のうちにも『歎異鈔《たんにしょう》』を読みて、
[#ここから2字下げ]
有碍《うげ》の相《そう》かなしくもあるか何を求め何を失ひ歎《なげ》くかわれの
[#ここで字下げ終わり]

 この人に寿《ことほぎ》あって、今すこし生きぬいたらば、自分から脱皮し、因襲をかなぐりすてて、大きな体得を、苦悩の解脱《げだつ》を、現《あき》らかに語ったかもしれないだろうに――
[#地から2字上げ]――昭和十年九月――



底本:「新編 近代美人伝(下)」岩波文庫、岩波書店
   1985(昭和60)年12月16日第1刷発行
   1993(平成5)年8月18日第4刷発行
底本の親本:「近代美人伝」サイレン社
   1936(昭和11)年2月発行
初出:「近代美人伝」サイレン社
   1936(昭和11)年2月発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2007年8月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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