白樺《しらかば》』の武者小路《むしゃのこうじ》氏の愛読者となったのは、心持ちが整理されてからではあろうが、別れてのちに、しみじみと知るまたとなきその人のよさ、世をふるにしたがって、思いくらべて惜しむ心はなかなかにあわれは深い。
 もとよりわたしは、たしかにそうと断定しない。わたしがその人の口からきいたのではないから。それにもかかわらず、わたしはいたましく思い、人世とはそんなものだとしみじみと感じる。もしそこに、若き灼熱《しゃくねつ》の恋があったら、桃山御殿の一部で、太閤《たいこう》秀吉の常の居間であったという、西本願寺のなかの、武子さんが住んでいた飛雲閣《ひうんかく》から飛出されもしたであろうし、解決は早くもあったろうに、若き御連枝はムッとしてそのまま訪問されず、しかも、その人も配偶をむかえてから、代《かわ》る女《もの》はなかったとの歎《たん》をもたれたのだから悲しい。
 も一度、
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かりそめの 別れと聞きておとなしううなづきし子は若かりしかな。
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 この歌は、嫁《とつ》がれてのち、夫君《つまぎみ》を待って読んだ歌だと解釈されているけれど、
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