九条武子
長谷川時雨

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)気高《けだか》き

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)十二|単衣《ひとえ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)柳原※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子
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       一

 人間は悲しい。
 率直にいえば、それだけでつきる。九条武子と表題を書いたままで、幾日もなんにも書けない。白いダリヤが一輪、目にうかんできて、いつまでたっても、一字もかけない。
 遠くはなれた存在だった、ずっと前に書いたものには、気高《けだか》き人とか麗人とか、ありきたりの、誰しもがいうような褒《ほ》めことばを、ならべただけですんでいたが、そんなお座なりをいうのはいやだ。
 その時分書いたものに、ある伯爵夫人が――その人は鑑賞眼が相当たかかったが、
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あのお方に十二|単衣《ひとえ》をおきせもうし、あの長い、黒いお髪《ぐし》を、おすべらかし[#「おすべらかし」に傍点]におさせもうして、日本の女性の代表に、外国へいっていただきたい。
ああいうお方が、もう二人ほしいとおもいます。一人は外交官の奥さまに、一人は女優に――和歌をおこのみなさるうちでも、ことに与謝野晶子《よさのあきこ》さんのを――
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 歌集『黒髪』に盛られた、晶子さんの奔放な歌風が、ある時代を風靡《ふうび》したころだった。
 その晶子さんが、
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京都の人は、ほんとに惜《おし》んでいます。あのお姫さまを、本願寺から失《なく》なすということを、それは惜んでいるようです、まったくお美しい方って、京都が生んだ女性で、日本の代表の美人です。あの方に盛装して巴里《パリー》あたりを歩いていただきたい。
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といわれた。米国《アメリカ》の女詩人が、白百合《しらゆり》に譬《たと》えた詩をつくってあげたこともあるし、そうした概念から、わたしは緋《ひ》ざくらのかたまりのように輝かしく、憂いのない人だとばかり信じていた。もっとも、そのころはそうだったのかもしれない。

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桜ですとも、桜も一重《ひとえ》のではありません。八重の緋ざくらか、樺《かば》ざくらともうしあげましょう。五《いつ》ツ衣《ぎぬ》で檜扇《おうぎ》をさしかざしたといったらよいでしょうか、王朝式といっても、丸いお顔じゃありません、ほんとに輪郭のよくととのった、瓜実顔《うりざねがお》です。
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と、おなじ夫人がいったことも、わたしは書いている。
 それなのに、なぜ、その時のままのを、他《ほか》の人のとおりに、古いままで出さないのかといえば、わたしは女でなければわからない、女の心を、ふと感じたからで、あたしには偽りは言えない。といって、生《いき》ているうちから伝説化されて、いまは白玉楼中《はくぎょくろうちゅう》に、清浄におさまられた死者を、今更批判するなど、そんな非議はしたくない。ただ、人間は悲しいとおもいあたるさびしさを、追悼の意味で、あたしの直覚から言ってみるに過ぎない。笞《しもと》の多くくるのは知っているが、手をさしのべて握手するのも目に見えぬ武子さんであるかもしれない。

 昭和二年ごろだった。掠屋《りゃくや》が――商業往来にもない、妙な新手のものが、階級戦士ぶってやって来ていうには、
「九条武子さんとこへいったら、ちゃんと座敷へ通して、五円くれた。」
 それなのに、五十銭銀貨ひとつとは、なんだというふうに詰《なじ》った。女というものはそういったらば、まけずに五円だすとでも思っている様子なので、
「あちらには、阿弥陀《あみだ》さまという御光《ごこう》が、後《うしろ》にひかっていらっしゃるから、お金持ちなのだろう。われわれは、原稿紙の舛目《ますめ》へ、一字ずつ書いていくらなのだから、お米ッつぶ拾っているようなもので、駄目《だめ》だ。」
と断わったことがあったが、吉井勇《よしいいさむ》さんが編纂《へんさん》した、武子さんの遺稿和歌集『白孔雀《しろくじゃく》』のあとに、柳原※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子《やなぎはらあきこ》さんが書いていられる一文に、
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――ある日のことだった。思想のとても新らしい若い男が、あの方と話合った事があった、その男の話は常日頃《つねひごろ》そうした話に耳なれていた私でさえ、びっくりさせられるようなことを、たあ様の前でべらべらとしゃべった。それにあのたあ様は眉根《まゆね》一つ動かさずにむしろその男につりこまれたかのように聞いておられた。そしてその男の話に充分
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