の理解と最も明晰《めいせき》な洞察《どうさつ》をもって、今の社会の如何《いか》に改造すべきや、現内閣の政治上の事に至るまで、とても確かな意見を出して具合よく応答されたのには聞いていた私が呆《あき》れた。「どうせ華族の女だもの、薄馬鹿に定まってらあ、武子っていう女は低脳だよ」
たしかにこんな蔭口をたたいた事のあったこの男も、すっかり参ってしまって、辞去する頃には、「ねえ、僕らの運動の資金をかせいで下さいな、何? 丁度新聞社から夕刊に出す続きものを頼まれてるんですって? そいつはうまいや、いや、どうも有難う。」
その男が帰ってしまったあとで私はたあ様に訊《き》いた。「たあ様の周囲にあんな話をして聞かせる方もありますまいに、いつのまにあんな学問なさったの?」その時、たあ様は笑いながら、「私だってそう馬鹿にしたもんじゃありませんよ。」(下略)
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この一節《いっせつ》に思いあわせたのだった。その訪問者の軽率なのも、掠屋《りゃくや》にもおかしさもあったが、武子さんの晩年の救済事業が、なんとなく冴《さ》えてきた心境を感じさせていたので、人を選《よ》るいとまもなく、聞こうとしたものがあったのだと思わせられた。死んでしまった、古い宗教から脱《ぬ》けて、自分の救いを――と、いってわるければ、新しくゆく道を探《たず》ねていた人ではないかと、思っていたことにこの一節がぴたときたのだった。
武子さんを書く場合に、普通常識ではかりきれないものがあるということを、はっきりさせておかないと具合がわるい。身分があるとか、金持ちだとかいうのとは、また異《ちが》っている。それらの人たちからも拝まれてもいれば、一般からもおがまれている。ある時は人間であり、ある時は阿弥陀さまと同列に見られ――見る方が間違っているのだが、特別人あつかいで、それが代々、親鸞聖人《しんらんしょうにん》以来であり、しかもその祖師は、苦難をなされはしたが、もとが上流の出であり、いかなる場合にも凡下《ぼんげ》とはおなじでなく、おがまれ通してきた血であることだ。本願寺さまは本願寺さまでなければならぬところを、大谷家《おおたにけ》になり、子爵と定まり、伯爵となったが、それだけでも門徒には大打撃だったのだ。生仏《いきぼとけ》さまの血脈《おちすじ》が、身分が定まってしまったのだから、信徒の人々には一大事で浅間《あ
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