つるのでした。おまけに部屋が藏づくりでしたから、それに窓の青葉などに白い花でもついてゐる時は、妙に氣遠《けどほ》いといふ心持ちがして、美しくいへば、流れに沈んだ晝の月を見るやうだとか、又は深い井戸の底にうつつた顏のやうだとか形容も出來ませうが、その場合は狐つきぢやないかと自分の顏を悲しい凄《こは》いやうに眺めて、嫌な氣持ちがしたものでした。どうもあの銅《かね》の鏡は髮の色でもなんでも生々《いきいき》としたところがうつらないで陰氣です。そのかはりにまた、そのころの西洋鏡――硝子のときたらば粗製品で、どれにうつして見ても顏が違つてゐるのです。顏が半分歪んでゐたり、しやくれて見えたり、滑稽な泣きつ面をしたり、ほんとに嫌になつてしまふのが多かつたので、そんなものは見たくないやうな氣がして――子供だからそれほど分明《はつきり》不快《いや》だとは思はなかつたかもしれないが、まあそんな覺えがあります。
姿見は中々よく見ました。疊半分以上の、そのころのものではよい品《しな》があつたので、それに息をかけて拭きながら種々《いろ/\》の表情をやりました。だが子供心に、妙なへだて[#「へだて」に傍点]をつけ
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