う約束のもとに行ったのだ。そのあとであたしはあたしの道へ出ようと思った。鉱山所長の横山氏夫妻が、その息子一人では預かれぬと言ったから、行ってもらいたいというのが、先方の両親の願いだった。
事件の最中で、心弱くなっていた父は、病みやつれたあたしを上野駅まで見送ってくれて、二度とやりたくないのだがと呟いていた。しかし、この山住みの丸三年は、あたしに真の青春を教えてくれた。肝心の預けられた息子は居たたまれなくて、何かにつけて東京へ帰って長くいるので、あたしは独居の勉強が出来た。県道からグッと下におりて、大きな岩石にかこまれた瀬川の岸に、岩を机とし床として朝から夕方まで水を眺めくらして、ぼんやりと思索していた。ある時は、水の流れに、書いても書いても書きつくされないような小説を心で書き流していた。「一元論」を読み、「即興詩人」を読み、馴れない積雪に両眼を病んで、獣医も外科医も、内科も歯科もかねる医者に、眼の手術をしてもらって、それでも東京へは出ず、頑固に囲爐裏のはたや炬燵のなかで、繃帯をした眼で、大きな字を書いて日を送っていた。
横山所長は、釜石鉱山をものにするまでに、座敷牢へ入れて止められ
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