繋いであるので、泣けば、お馬さんを見ましょうというか、夕方ならば、お月さんが出たと門《かど》につれだされる位、蝉の声もあんまりきかない四辺《あたり》で、そのくせ、大問屋町というのは妙に奥や裏の方は森閑としていたもので、真夏でも、妙に冷たい風のくる路のあるような、家居であった。
 あたしの家も、祖父のころは呉服を大名の奥に納める家業、近所にあった祖母の兄の店が大きかったというが、その兄が死んでから、後妻が、御殿女中あがりだったので、子供に甘くて、店をつぶしてしまったし、時も丁度|御維新《ごいっしん》の、得意筋の幕府大奥や、諸大名の奥向きというところがなくなったので、祖父も店をやめてしまって、あたしが生まれたころには、もはや祖父卯兵衛は物故し、父は代言人を職としていた。
 しかし、どうも、祖父の家業は、呉服御用という特種なので、もとより、問屋でもなし、店売りでもなく、注文品を、念入りにしつらえて納めるものであったようだ。反物を畳む、がっしりした小机とか、定木《じょうぎ》とか、模様ものの下絵を描いた、西の内紙で張って、絹さなだ紐をつけた、お召物たとう紙などが残っていたり、将軍さま御用の残り裂
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