からだと怒ってもいた。だが、おそろしく幼時は臆病だったので、蔵へは独りでものも取りにゆけないし、我が家でありながら、ぼんぼりをつけなければ、厠へもゆかないというふうであったから、十一やそこらで、床の高い、石でかこった、土蔵の縁の下に、梯子をとりあげられ、薦《むしろ》一枚の上におかれることは、上の格子から光のくるのを遮ぎられてしまうと、冷汗を流して、こおろぎに脅えたり、夏であると風窓が明いていると、そこへ顔を押しつけていたものだった。そんな時、まだちいさかった三人目の妹や四人目の妹が、外から覗きに来て、そのまま土に坐り込んで、黙っていつまでも風窓の内外から顔をおしつけっくらしているのだった。はしごをはずされて三階に縛《いまし》められていても、彼女たちは、いろいろな知恵をふるって鼠のように登って来て、縛めを解いてくれて、そこでお話をせびったり、石版をもって来て絵を描かせたりするのだった。
 十三歳になると学校をさげられて、あらたに生花と、茶の湯とに入門させたが、午前九時から午後五時までは裁縫をしこまれた。
 我が家の家憲としては、十一二歳を越すと、朝の清掃を大人同様、女中も書生もわかちなく
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