いわれるたねになっていたところ、この二絃琴のお師匠さんがまた、褒めるつもりで、宅《うち》へお出でなすっていても、いつも本箱の虫のように、草双紙ばかり見てお出でなのに、いつ耳に入れているか、他人《しと》のお稽古で覚えてしまって、世話のないお子ですと、お世辞を言ったのだった。
 あたしは、草双紙に実《み》が入って、日が暮れてから、迎えをよこされて帰って来て叱られると、大勢のお稽古を待っていたというのが逃げ口上だったのが、すっかり分かってしまった具合のわるい時だったので、俄然取りしまりが厳しくなって、よからぬ習慣は、寸にして摘まずばといったふうに、ともするとあたしは、奥蔵の縁の下に押込まれたり、蔵の三階に縛りつけられたりして、本を――文字のあるものを見ることを厳禁されてしまった。
 それもまた、親の情であったかもしれない。あたしは、アンポンタンと呼ばれ、総領の甚六とよばれ、妹の色の白さに対して烏とよばれ、腺病質ででもあったのか、左の胸がシクシクして何時もそっと揉んでいたが、十二三には、祖母を揉みに毎日くる小あんまに、叩いてもらうほど苦しかったので、母は、机にギッシリと胸を押しつけてばかりいる
前へ 次へ
全39ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング