ってくると、飛び出して、主人の時などは土に手をつく人品の好い門番が、以前は一番上席の家老だったというふうで、小使いも下の女中もみんなお婆さんかお爺さん。たまたま二、三人、上《かみ》女中でないものに若い女がいたが、年寄りもおんなしことで、ただ年が若いというだけ、新時代に対してなんにも知らない人たちばかりだった。
鍾愛《しょうあい》の、美しい孫姫さんが、御方《おかた》(姫の住居―離れたお部屋)に乳母たちにかしずかれていた。侯爵夫人になられた細川博子さんがそのお姫《ひい》さまであったが、あたしが奉公してから間もなく、ウエスト夫人という西洋人のところへ、英語を学ばれに通うことになったとき、そのお乳母さんが附いてゆくのが、およそあたしが、生涯に羨ましいと、人のことを羨んだ、たった一つのことで、お今さん、あなたは傍にいらっしゃるのときいたら、はい、すぐお傍にいますが、なんにも覚えてませんと言った。何とやらん無念のおもいが、胸にグンと来るのを、どうしようもなかったのは、志望してそのお伴のまたお伴に、ついてゆけることなど、およそ出来るわけのものでもなかったからだ。次の部屋にいようとも、あたしの耳は発音をきくだろう、耳で覚えたものを寝てからブックに照し合わせても解る筈だとは――とは、とはと、思いもするが、あたしは読ませないようにという意味が、御奉公の眼目におかれているので、お下がりの新聞さえ読ませられないのだ。御家令というのが、もとの上席家老格で、その人があたしの父の親友、そしてその人が母からよく頼まれて、どうも変な子だということを、年寄りたちに伝えてあるし、母がまた一々、他の人にも、あたしの病いの虫のように話したのであるから、あるいは、老侯爵は面白がって許してくれるかもしれないが、傍のうるささが思いやられて、お孫姫さま英語御教授をおうけになるお供を、お願いする機会はなかった。
だが、それは、その場合大望すぎたのだ。あたしはこれでなかなか自由の時間を持っていたのだ。家にいる時とちがって、夜中の時間は絶対に自由にできる。といって、もとより人に知れないようにではあるが、そこにはまた何やらん、やりよさがあった。お上《かみ》女中の部屋は二、三人ずつの共同部屋で、八畳、六畳、四畳半、三畳の四室に屋根裏二階が物置きになっていた。あたしが置かれた部屋は格の好い方で、老侯の愛妾の部屋に隣り、殿様
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