ぞいている。その間からお酒に胸《むな》焼けのしている皮がはみだすのを、招き猫のような手附きで話をしながら、時々その手で、衣紋《えもん》を押上げるのだった。羽織の紐《ひも》が閂《かんぬき》のように、一文字に胸を渡っていた。
おおかめさんの顔で目立つのは、額と頬っぺたの広々とした面積で、高く盛上っている。口も反《そ》って分厚な、大きな唇をもっていた。そのかわりに、謙遜《けんそん》すぎるのが鼻と眼だった。眼は小いさいばかりでなく、睫毛《まつげ》が、まくれこんでいるので――トラホームだったのかもしれない――小いさいばかりでなく、白っぽく、光りがなくて、そのくせ怖かった。まわりからくる体つきの愛嬌《あいきょう》で、ニコニコしているように見えたが、眼は決して笑っていなかったその眼の無愛想《ぶあいそう》をおぎなって、鼻が親しみぶかかった。お団子を半分にして、それを拇指《おやゆび》でおしつけたように、押しつけたところがピタンとしている。大きな鼻の穴が、竪《たて》に二つ柿《かき》のたねをならべたように上をむいている。
頭は、薄い毛の鬢《びん》を張って、細く前髪をとって――この時分、年配者は結上げてから前髪の元結《もとゆい》をきってしまって、鬢《びん》の毛と一緒に束髪みたいに掻《か》いていたのだが――鼈甲《べっこう》の櫛《くし》、丸髷《まるまげ》の手がらは、水色のこともあれば藍《あい》色のこともあった。プラチナの細い上へ、大きく紫っぽいダイヤが、総彫刻の金指輪のとなりにあって、そぐわない手の上で、迷惑そうに光っていた。
小紋更紗といえば、この、中村勘五郎の息子に、銀之助という少年役者が、その日、芝居の見物をしていた桟敷《さじき》の裏へ挨拶に来ていた。そのころの劇場は、当今《いま》の一階椅子席――一等席から二等席の方へかけて、ずっと細長く、竪に半間はばよりすこしゆるめに、長い長い溝になっていて、畳がずっと敷きつめてある。それが両|花道《はなみち》のきわまでつづき、またそれを一コマずつに、細い桟木《さんぎ》で仕切っていって、一コマが、およそ一間の四分の一に仕切られて、その中に四つ、または五枚の座蒲団《ざぶとん》が敷いてある。これが芝居道でいう一間《いっけん》――一桝《ひとます》なので、場席《ばせき》を一間とってくれ、二間《にけん》ほしいなどというのだった。二間三間と陣《じん》どって、ゆっくりはいりたければ、代金さえ支払えば定員だけはいらなくともよいのだし、そのかわりに子供も交《ま》ぜて六人はいっている窮屈なのもある。それを一桝とれとか二桝ともいった。桟木《ませ》は――ツマリ仕切りは、出方《でかた》――劇場員によって取りはずしてくれるから、連れであることは桝を見ればわかるのだった。役者の連中は、この長い竪《たて》の溝を貫ぬいて幾本もとるのと、夏なぞは、その役者の揃いの浴衣を着て、役者の紋のついている団扇《うちわ》を一人ひとりが持っているので、華《はな》やかでもあり、宣伝としても効果的だった。花道の外になる両側は三段、もしくは四段の雛段《ひなだん》式に場席がなっていて、一桝くぎりはおなじだが、これは舞台へ斜めにむかう工合《ぐあい》で、おなじ竪に流れていながら横にならんでいる感じでならび、一段ごとに緋《ひ》の毛氈《もうせん》がかかっていた。もとより、その雛段にも連中は並《なら》んだから、魚河岸《うおがし》とか新場とか、大根河岸《だいこんがし》とか、吉原や、各地の盛り場の連中見物、その他、水魚連《すいぎょれん》とか、六二連《ろくにれん》、見連《けんれん》といった、見巧者《みごうしゃ》、芝居ずきの集まった、権威ある連中の来た時など、祝儀をもらった出方《でかた》が、花道に並んでその連中に見物の礼を述べたり、手打《てうち》をしたりして賑わしかった。
この雛段を、下から、新高《しんだか》、高土間《たかどま》、桟敷《さじき》ととなえ、二階にあるのは二階|桟敷《さじき》、正面桟敷といった。そこにも緋のもうせんがかかっている。「助六《すけろく》」の狂言の時などは、この二階桟敷の頭の上と、下の桟敷の頭の上に、花のれんがさがり、提灯《ちょうちん》がつるされるので、劇場内は、ぐるりと一目《ひとめ》に、舞台の場面とおなじ調子をつくりだすので、見ている観客までがその場の、一場景につかわれる見物人にもなるので、浮立ってくる心理が、とても、こく[#「こく」に傍点]のある甘さとなって、演じる役者もみるものも、とうぜんと酔っぱらったのではないかと思うし、昔の芝居のおもしろさは、こんなところにあったのだなということが、今になって思われるのだった。
そうした桟敷の後の板戸を、そっと引き開けるものがあった。舞台に夢中になっている女たちは気がつかなかったが、ちいさな、あんぽんたんは、透間
前へ
次へ
全6ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング