風《すきまかぜ》が、おかっぱのまんなかにあけた、ちいさな中剃《なかず》りや、じじっ毛のある頸筋《くびすじ》に冷たくあたったので振りかえると、つくなんでいた男が、手のついた青い籠《かご》の上へ、手拭《てぬぐい》袋包をのせ、手拭と菓子籠の間へ、ヒラヒラと、巾《はば》一、二厘の、丈《たけ》五|卜《ぶ》ばかりの赤や青のピラピラのさがった楽屋簪《がくやかんざし》を十本ばかりはさんだのを、桟敷の中へ押入れるようにしていた。
 と、おとなたちも気がついて、振返えると、また二、三寸板戸の開きがひろげられて、そこへ、他の男衆《おとこしゅう》を供につれた銀之助が来たのだった。あの黒い、眼の鋭い、お出額《でこ》の役者の子だとあとできいたのだが、この子は葱《ねぎ》のような青白さで、あんぽんたんが覚えているのは、薄青い若草色の羽織と、薄|柿《かき》色の着もので、羽織とおなじ色の下着を二枚重ねて着ていた。あたしが家《うち》へおくられて帰るときに、その青籠入のお菓子と、手拭と、楽屋かんざしをそっくりつけてよこしたので、家《うち》のものがいろいろその日の様子をきいたおり、その葱のような役者が、この贈りものをもってきたのだといったらば、それが中村銀之助という子役だと、母たちがいっていた。
 簪《かんざし》は鶴がついているのと、銀杏《いちょう》の葉とのがあって、ピラピラに、舞鶴《まいづる》や、と役者の屋号を書いたのと、勘五郎としたのと、銀之助と書いたのとが交《まざ》っていた。手拭袋のもようと色とが、銀之助が着ていた着物とおなじなので、思いだして話すと、これは、鶴菱《つるびし》というので、舞鶴屋の紋でもあると祖母がおしえてくれた。そしてその着物のことを、染めさせた小紋であろうといっていたので覚えてしまったのだった。



底本:「旧聞日本橋」岩波文庫、岩波書店
   1983(昭和58)年8月16日第1刷発行
   2000(平成12)年8月17日第6刷発行
底本の親本:「桃」中央公論社
   1939(昭和14)年刊行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2003年7月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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