いったので、台所に湯気をあげている銅薬缶《あかやかん》の大きいのを見て、天ぷらやの屋台に立っていた、恰幅《かっぷく》のいい、額の長く光った、金物問屋の旦那さんの顔を、あんぽんたんまでが思出して、一緒に笑った。
堅気な町には、出前を重《おも》な蕎麦《そば》やがあるくらいなもので、田所町に蒲焼《うなぎや》の和田平、小伝馬町三丁目にも蒲焼の近三、うまや新道から小伝馬町三丁目通りにぬける露地に、牛肉の伊勢重があるだけだった。
現今《いま》は、人形町通りに電車が通り、道幅が広がっているが、人形町通りは大門《おおもん》通りと平行して竪に二筋ならんでいたのだが、大門通りの気風と、人形町とはまるで違っていた。人形町通りは、昔の三座や、その他の盛り場のあった名残りで、日本橋区中の繁華な場処なのに、大門通りは大商家《おおだな》が、暖簾《のれん》をはずし、土に箒《ほうき》目をたてて、打水をすましてしまうと、何処《どこ》もひっそりしてしまって、大戸をおろした店蔵《みせ》の中では、帳合がすむと通いの番頭さんは住居に帰り、あとは夜学――小僧たちが居ねむりをしながら、手習や珠算の練習をやる。尤《もっと》も、大門
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