た》やかに肥《ふと》っている。顔は艶《つや》やかだが赤黒く、体の肉は襞《ひだ》ごとつまみあげて、そこここを切りとれば、美事な肉片が出来ると思われるほどだった。だから、その面積もたいへんなもので、体を拭《ふ》くのに二人かかった。
ともかく、二人の先触《さきぶ》れ小僧が、小川湯へつくと、他《ほか》に浴客《おきゃく》があろうがなかろうが、衣類《きもの》の脱《ぬ》ぎ場をパッパッと掃きはじめ、蓙《ござ》を敷く、よきところへ着物を脱ぐ入れものをおく。それから尻《しり》っぱしょりになって、流し場へ、お湯を酌《く》んだ桶《おけ》を積みあげ、ほどよく配置して、中央へその一党の場席を大きく陣取って待ちかまえるのだ。馴《な》らされた小者は、他への気|兼《がね》や、きまりのわるさなど、忘れてしまっているほど、おおかめさんが怖いのだ。口の中へ一ぱいに大福餅《だいふくもち》を押込まれたり、あの肥った体で踏んまたがれて、青坊主に剃《そ》りたてられるのが愁《こわ》いのだった。
そうだっけ、小僧の一人、亀吉は剥身《むきみ》売りだったのだ。父親のない、深川ッ子の剥身売り[#「剥身売り」は底本では「剥売身り」]が、おおかめさんの台所の障子口から顔を突ッこんで、買っとくれようといったのが縁で、この連中が面白がって小僧にしたのだから、気に入らないと、剥身を売っていたときの、着物きせて、大門通りを歩かせるぞと言われるのが、よっぽど恥かしかったものと見える。
も一人の平三は、車力《しゃりき》の親方の子で『菅原伝授手習鑑《すがわらでんじゅてならいかがみ》』の寺子屋、武部源造《たけべげんぞう》の弟子ならば、こいつうろんと引っとらえと、玄蕃《げんばん》が眼を剥《む》きそうな、ひよわげで、泥亀《すっぽん》に似た顔をしている。亀吉の精悍《せいかん》さが眼立ちもしたが、平三の背景は亀吉とちがって、おおかめさんの連合《つれあい》が若い時分、吉原の年明《ねんあ》けの女郎が尋ねてきたのを、車力宿で隠囲《かくま》ってやっていたというのが、不心得で、親たちがおおかめさんに忠義でないといわれるぐらいだった。
おおかめさんの風貌《ふうぼう》を、もすこし委《くわ》しくいえば、体の大きさと眼との釣合は鯨《くじら》を思えばよかった。鼻は、眼との均衡がよいほどだが、竪《たて》に見えるほどの穴が実に大きい。私は古面《こめん》展覧会で鎌倉期の、だれだかの作で、笑った女の面が、眼も鼻もなく、顔の真中につぼまって、お出額《でこ》と、頬っぺたと、大きな※[#「月+齶のつくり」、第3水準1−90−51]《あご》に埋まってしまって、鼻の穴だけが竪に上をむいた、いかにも親しみやすい平民の女の顔を見たとき、ふっと、おおかめさん一族の女に共通だったものを見て、お面に笑いかけてしまった。けれど、古面の方は眼が糸目なので――開いても柔らかいであろうが――おおかめさんは、小さな眼が、奥のほうで濁った鋭さをもっていた。
おおかめさんとは、大旦那に対する、大内儀《おおおかみ》さんの意味で尊称なのであろうが、自分でいうとおおかみさんになり、出入りの相撲《おすもう》さん×山関がいうとおおかめさんとなる。狼《おおかみ》がいいというものと、大お亀《かめ》の方が縁起がいいというものと、どっちもごっちゃだ。
おおかめさんの御機嫌にさからうと、
「どいつもこいつも、みんな出ていけ。」
と家中のものが、一集《ひとあつ》めに頭から怒鳴られる。お品よく、お品よくと、お附女中から、大番頭さんの女房まで揃えても、ともすると夏は諸《もろ》はだぬぎになったりして、当り屋仲間の細君が、以前から大家《たいけ》だったように勿体《もったい》ぶっているのと、歩調が合わなくなると、
「あのお虎婆め、常磐津《ときわず》もろくに弾けない、もぐり師匠だったのを、わすれやがったか。」
と自分のおさとまでぶちわって、向う角の、蔵造りで、店は格子を閉めてある、由緒ありげに磨きあげて、構えこんでいる黒光りの角蔵《かど》を睨《にら》んで、その奥座敷におさまる比丘尼《びくに》婆の、絽《ろ》の十徳を着た女隠居に当りちらすのだった。
おおかめさんは八丁堀の古着屋の娘、近所の古鉄商の若い衆で、田舎出だが色白で、眼鼻立のはっきりしたのに惚《ほ》れこんだのだ。若い衆の方は、金がなくても、夜寝床から裸でぬけだして、駕籠《かご》で飛ばして行くと、吉原で花魁《おいらん》がたてひいたんだと、紳士になってからも、湯上りにはすっかり形式をかなぐりすてて、裸になって、手拭を肩へかけ、立膝《たてひざ》でお酒をのんで、土用のうちでも、蔵前のどじょう汁だとか、薬研堀《やげんぼり》の鯨汁好みが、汗をふきふき、すっかり紳士面になりきってしまった仲間をこきおろすのだった。平日《ふだん》は重い口が、顔が赤銅色に染ま
前へ
次へ
全5ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング