るのにおかしい。」
 女中さんが笑ったのとは違って、子供には、家内そろって、みんな一緒でないのが訝《いぶか》しかったのだ。
「あすこは、古いお家《うち》だから、お精進日《しょうじんび》が多いのだろう。」
 ああ、なるほど――と、ちいっぽけな者にも、その意味がわかるほど、古風な紙が台所にさげてある家があったのだ。
 精進日覚、
[#ここから2字下げ]
×日  朝
×日  昼まで
×日  終日しょうじん
[#ここで字下げ終わり]
 そんなふうに書いて張ってあるが、三十日間に、幾日もあき[#「あき」に傍点]のない家もあった。御先祖さまの日、御先代の日、誰の日、彼の日、等々と、精進日つづきで、どんなけちんぼのとこでもお魚をつけるおさんじつ[#「おさんじつ」に傍点](一日、十五日、廿八日)まで、お精進が繰込んでいる。時によりものによって、魚《さかな》の方が野菜ものより安価なことのある今日とは、魚《うお》の相場が大変違うので、大勢の人をつかう大家内では、巾着と相談の上から考慮された仏心《ぶっしん》であったかもしれないが、土地がらに似合わない、洋服を着て抱え車に乗る、代言人の、わたしの父の家でさえ、毎月|晦日《みそか》そうじがすむと、井戸やおへっつい[#「おへっつい」に傍点]を法印《ほういん》さんがおがみに来て、ほうろく[#「ほうろく」に傍点]へ塩を盛り御幣《ごへい》をたてたりしても、父も別段やめろともいわなかったようだ。
 その法印さんは眼のくぼんだ、色の黒い人で、小柄で、髪の毛をチョンボリ結んでいたようだったが、はっきりとしない。神田今川小路の方の河岸《かし》つきの、引っこんだところに閑寂な小庭を持って、茶席めいた四枚障子の室《へや》がとっ附きにあって、その室のうしろは土蔵で、蔵住居らしかった。かなり物好な住居であったのであろうが、あんぽんたんがわすれないのは、法印さんではなくって、娘のお染さんという女だった。
 娘といっても、お染さんは、三十を越していたかと思うがその頃のおつくりは地味ゆえもっと若かったのかも知れない。大柄な、色の白い人で、別段|別嬪《べっぴん》とは思わないが、『源氏物語』の中の花散る里――柳亭種彦《りゅうていたねひこ》の『田舎源氏』では中空《なかぞら》のような、腰がふといようで柔らげで、すんなりしていて、裾《すそ》さばきのきれいなのが、眼にしみて消えないの
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