ると、
「××屋は、すっかり殿さまぶっちまやがって、芸妓《げいしゃ》が来ても、おお、来たか、近う近うなんていやがる。夜っぴてよ、蝋燭《ろうそく》でよ、銭勘定したり、横浜までゆくのに、旅費がなくって、宿場《しゅくば》の牛太郎《ぎゅうたろう》までしやがったことわすれてやがる。」
 それは横浜に居ついて、旧大名の真似をした暮しをしている、輸入商になった、当り屋仲間のことだった。そのまがい殿様の奥さまは、大柄な、毛の多い、顔色の悪い女で、つとめをしていた女の上りだった。
 ××屋は広い店と、広い住居をもっていて、主人は白い長い※[#「月+齶のつくり」、第3水準1−90−51]鬚《あごひげ》をひっぱり、黒ちりめんの羽織で、大きな茵《しとね》に坐り、銀の長ぎせるで煙草《タバコ》をのみ、曲※[#「碌」のつくり、第3水準1−84−27]《きょくろく》をおき、床わきには蒔絵《まきえ》の琵琶《びわ》を飾り、金屏《きんびょう》の前の大|瓶《がめ》に桜の枝を投げ入れ、馥郁《ふくいく》と香を※[#「火+主」、第3水準1−87−40]《た》くというおさまりかたなので、
「いやな奴《やつ》だ。」
と、くさしながら、どじょう汁の大旦那も、古道具やから、高価な偽物《にせもの》をつかませられる好《い》いお顧客《とくい》だった。
 おおかめさんは、家《うち》では金が出来てしかたがないのだといった。いつでも、せまいほど家のなかがウザウザして、騒々《そうぞう》しい家《うち》だった。樽《たる》づめのお酒を誰かしら飲口《のみくち》を廻していた。放縦《ほうしょう》だった。娘たちは、夜になるとねんねこを着た襟を、背中の見えるまでグッと抜衣紋《ぬきえもん》にして、真白に塗った頸《くび》にマガレットに結って、薔薇《ばら》の簪《かんざし》を挿したり、結綿《ゆいわた》島田に結って、赤と水浅黄の鹿の子をねじりがけにしたりして、お酒をのんでいた。おおかめさんが寝間着に寛袍《どてら》をはおって、大座ぶとんに坐り、それをとり巻いて振り将棋みたいなことをして、みんなが賭《か》けた小銭を、ザクザクと、おおかめさんは座ぶとんや、膝《ひざ》の間に押入れて、忽《たちま》ちのうちに勝ってしまう遊びをした。パースでも、みんながかけた。おはなもした。
 束髪の娘は英語の教師に走り、結綿は駈落ちするところを、小僧の亀《かめ》どんが見つけて騒ぎ出した
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