たし、おかみさんのおもよ[#「おもよ」に傍点]というのは、竈河岸《へっついがし》の竃屋の娘で、おしゃべりでしようのなかった女だから、輝国が死んでから、そういうものはどうなってしまったかわからなかった。
 住居《すまい》は入口が格子で、すこしばかり土間があって、二間に台所だけ、家賃は(今の金で)三十銭位だとおぼえている。それでもお酒は大好きで、たべものはてんや[#「てんや」に傍点]ものばかりとっていた。貧乏でもそういうところは驕《おご》っていた。芝の泉市《せんいち》だの、若狭屋《わかさや》だのという絵双紙屋から頼みにきても、容易なこっては描いてやらなかった。その時分、定さんという人がよく傭《やと》われてきたものだ。輝国が絵――人物や背景を描くと、その人は、軒だとか窓だとか、縁側だとか、襖《ふすま》とかいったものの、模様や線をひきにくる。腕はその当時いい男だといわれていたのに、弁当も自分持ちで、定木《じょうぎ》も筆も持参で来て、ひどい机だけかりて仕事をして、それで一日がたった天保銭一枚(当時の百文・明治廿年代まで八厘)。今の人がきくと嘘《うそ》のようだろう。
 寿鶴亭《じゅかくてい》という
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