い日の午前《あさ》、文部大臣|森有礼《もりゆうれい》が殺されたと、玄関から駈《か》け込んできて知らせたものがあったとき、わけも知らず胸がドキンとした。またすぐあとで、西野文太郎《にしのぶんたろう》がギザギザに切殺された――死骸《しがい》を入れた棺桶《かんおけ》が通る――血がポタポタ垂れている――と、ほんとか嘘《うそ》か、ワッという騒ぎが来て、越中島の練兵場で、ズドンズドン並んで、鉄砲でやられているのと、盛んな蜚語《ひご》が飛んで、人々は上を下へと、悦《よろこ》んだり青くなったり、そのなかを市中は、菰樽《こもだる》のかがみをぬいて、角々《かどかど》での大盤振舞《おおばんぶるまい》なのだから(前章参照)、幼心には何がなんだかわからず、大きな鰻をさかせたり、お酒をのんだりしている父と、戸外《そと》にいることがたよりなかった。
 思えば父たちのよろこびは、父祖《ふそ》みな、町人と賤《いや》しめられてきた長い長い殻《から》を破りうる、議会政治をむかえるため、ここに新憲法の成立発布を、どんなにどんなにか祝したく思ったのであろう。江戸に生れて、志望を立てたのか、流行でなったのか知らないが、剣を学んだ
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