らといって、途中で手をぬくようなことがあるといけないから、どうしても二ツ建てるだけの用意をしておかないとちゃんとしたものが出来ますまい。」
それは理由のある理窟だから、祖父は頷《うなず》いた。けれど、三戸前《みとまえ》分なければというのには不服だった。
「それがなぜ、もう一ツ分入るのだ。」
「では、万一、蔵の出来かかった時に天災が来たらどうします。土蔵《くら》は出来ましたが、蔵に入れる何にもなくって人手に渡しますとは、まさか言えますまい。」
なるほどと思った祖父はうなった。現今《いま》のように金融機関のそなわらない時代のことである。空手《くうしゅ》で、他人《ひと》の助力《たすけ》をかりずに働かなければならないものには、それほど手固い用意も必用だったであろうが、その場合の祖母の意見は、もうここまで来たという祖父の気のゆるみを、見通していたものと私は考える。
私という人間は、また、そうした祖母の教訓をうけながら、利にうとく、空手でものごとをはじめる、赤ン坊のような勇気? 時折自ら苦笑する、『女人芸術』にしてからが、この祖母の諭《いまし》めを服用していたならば、秋風寒しなんて、しなびは
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