していると人気があった。お婆さんたちがはしゃいだ声を出して御寄附の相談をする。麦酒《ビール》なら水だから召上るだろうとか、白足袋を差上げようとか、褌《したおび》におこまりだろうとか――すると、番僧が大火鉢で、肘《ひじ》まで赤いたこ[#「たこ」に傍点]をこしらえて、ガンばってあたりながら、拙僧《わし》にもくれよとか、雑巾《ぞうきん》の寄附がすけなくなったのという。食物をつけとどける人も少くない、毎晩くる中にも、お茶菓子をかかさずもってくるので、火鉢の辺りは有福《ゆうふく》だった。
 大店《おおだな》の内儀《おかみ》さんたちは嫁をそしる。中年になったお嫁さんは、いつまでも姑《しゅうとめ》が意地わるく生きていると悪口《あっこう》しあうのを、番僧たちはうまく口を合せていた。そんな時、祖母は口を決してださなかった。傍《はた》のものが、あんぽんたんの顔をみいみい、円曲《えんきょく》に、母のことに話をむけてゆくと、
「心の鬼の角《つの》をおりに来て、ざんげ[#「ざんげ」に傍点]なさるのはよいが、後生《ごしょう》がようござりますまい。家《うち》の嫁は孝行で、孝行であんなよいものはござりませぬ。」
とやるので、合手《あいて》は苦い顔をしてだまってしまう。私はそこにも厭《あ》きて、錫《すず》の大壺《つぼ》に酌《く》みいれてあるお水をもらって、飲んだり、眼につけていたりする人を眺めていた。
 やがて和讃《わさん》がはじまる。叩鉦《かね》の音が揃《そろ》って、声自慢の男女が集ると、
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有転《うてん》輪廻《りんね》の車より、
三毒《さんとく》五慾《ごよく》の糸をだし
生死《しょうし》のかせわのひまいらぬ
さあてもとうとき、おんあぼきゃ、
べいろしゃの、なかもふだらに、はんどく、
じんばら、はらはりたや、うん――
じんばら、はらはりたや、うんが面白くて、いい気になって高音《こうおん》にうたった。
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 そのうちに、香染《こうぞめ》の衣を着た、青白い顔の、人気のあった坊さんが静々と奥院の方から仄《ほのか》にゆらぎだして来て、衆生《しゅじょう》には背中を見せ、本尊|菩薩《ぼさつ》に跪座立礼《きざりつれい》三拝して、説経壇の上に登ると、先刻嫁を罵《ののし》り、姑をこきおろした女《ひと》たちが、殊勝らしく、なんまいだなんまいだと数珠《じゅず》を繰っておがむ。
 お坊さんは、壇の上の独鈷《とっこ》をとって押頂《おしいただ》き、長い線香を一本たて、捻香《ねんこう》をねんじ、五種の抹香を長い柄《え》のついた、真ちゅうの香炉《こうろ》にくやらす。そして徐《おもむ》ろに、衣の袖を掻《か》きあわせ、瞑目《めいもく》合掌の後、しずかに水晶の数珠をすりあげ、呟《つぶや》くようにひくく、
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ぢん未来《みらい》さい――
帰依仏
帰依法経――
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とかなんとか、涼しい、低くよく通る声で、だんだんに皆をひっぱってゆく。
 祖母は、有難い御僧《おんそう》に、褌《したおび》の布施をする時は、高僧から下足のおじいさんにまで、おなじように二締《ふたしめ》ずつやった。祖母は別段、和讃歌もお経も覚えようとしなかった。松さんがその事を帰りに訊《き》いたら、
「空念仏《そらねんぶつ》だ。」
といった。では、なぜ毎晩参詣なさいますといったら、こう答えた。
「老人《としより》は家《うち》もすこしはあけてやるものだよ。」
 門前の汁粉屋は、人の帰り足をきくと、毎晩かかさず立寄る祖母と、その仲間のために、おしるこを熱くし、おぞう煮もつくっておいた。もんじやきやのお婆さん、ほおずきやのおかみさん下足のおじいさんといった仲間が、そのほかにも三、四人はきっとくる。そして車夫の松さんと、迎えにくる女中と、あんぽんたんと、それだけが、あまり上等でないおしるこを振舞ってもらう。

 あたしは「長吉」という、まっ黒な古人形を持っている。長吉はねずみちりめん無垢《むく》の上衣《うわぎ》、緋《ひ》ぢりめん無垢の下着、白の浜|縮緬《ちりめん》のゆまき、緋《ひ》鹿の子のじゅばんを着ている。それらは古びきっているが、祖母が江戸へ来てから新らしく縫って着せたものだ、祖母はその長吉人形を抱いて十九の年に下向したのだ。
 なんで江戸まで出てきたのかというと、疱瘡《ほうそう》を病《わず》らっているとき、あんまり許嫁《いいなずけ》の息子とその母親が、顔を気にして見舞いに来るので、ある日、赤木綿の着物に、赤木綿の手拭で鉢まきをし熱にうかされたふりをして、紅提灯をさげて踊り出し気の弱い許嫁|母子《おやこ》を脅《おど》かして、自分の方から愛想ずかしをさき廻りにしてしまった。こんなところは面白くないと、江戸の兄をたよって出て来たのだった。小りんという名も、よい容貌
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