いってさわぎ出した。
 だから、曙山さんは左団次の弟子になった。おしょさんは、当地に馴染《なじみ》のない人だからと、毎日毎日楽屋へいろんなものをもたしてやる。ほかのものはいいがお汁粉《しるこ》をどっさりこしらえてもってゆく時は、おもよどんは運ぶのに大変だ。とにかく、お稽古はそっちのけで、明治座のはなしに無中になっている。
 アンポンタンは十二、三の時から、あの貧乏な勝梅さん(前出、長唄の師匠)の蠣殻町《かきがらちょう》の家から出ると豊沢団《とよざわだん》なんとかいう竈河岸《へっついがし》の義太夫の師匠の表格子にたって、ポカンと中の稽古をきいて過し、びっくりして歩きだして橋を渡ると、千歳座の前で看板にひっかかり、それから附木店《つけぎだな》まで歩いて、本箱の虫になって、家から迎えがくるか、おもよどんかお金ちゃんに送りながらわびてもらって、暗くなってから家へかえる習慣になっていたから、明治座が出来たから急に芝居の前にたつわけではなかったが、みんなとは違った意味で、自分の欲をたんのうさせてもらった。
 もともと家《うち》では、長唄が一日、二絃琴が一日と隔日にというのを、盲目《おめく》の勝梅さ
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