もこれからの世間には見られまい。下品なものはなかった。隣家《となり》に常磐津《ときわず》の老婆《おばあさん》師匠が越して来て、負けずに窓のある部屋へ見えるように飾りたてたりしたが、覗《のぞ》いて見ると、それは子供にも不思議に思えた男の子のつけているもののかたちを、かざりならべておがんでいた。

 おしょさんの家《うち》へは、綺麗《きれい》な娘さんたちが多く来た。みんな美しい人だった。お母さんや、ばあやさんの自慢の娘さんたちだった。鴛鴦《おしどり》に鹿《か》の子《こ》をかけたり、ゆいわた島田にいったり、高島田《たかしまだ》だったり、赤い襟に、着ものには黒繻子《くろじゅす》をかけ、どんなよい着物でも、町家《ちょうか》だから前《まえ》かけをかけているのが多かった。前垂れの友禅《ゆうぜん》ちりめんが、着物より派手な柄だから揃っていると綺麗だった。春の夕暮など、鬼ごっこや、目かくしをすると、せまい新道に花がこぼれたように冴々《さえざえ》した色彩《いろ》が流れた。玉村の――お菓子屋の――お島ちゃんは面長な美女で、好んで黄八丈の着物に黒じゅすと鹿の子の帯をしめ、鹿の子や金紗《きんしゃ》を、結綿《ゆい
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