か策師《さくし》だったといえる。江戸人の――いえ、当時の日本人の誰にも感じられる、厭《いや》な連想をもった、場処がらである。江戸三百年、どんなに無辜《むこ》の民が泣いたか知れない、脅《おび》やかされた牢屋のあとだ。ことに世の中が変動する前には、安政の大疑獄以来、幾多有為の士を、再び天日《てんぴ》の下にかえさず呑《の》んでしまった牢屋の所在地だ。鬼哭啾々《きこくしゅうしゅう》、人の心は、そこの土を踏むだけで傷みに顫《ふる》える。その心理を利用したのだ。たね[#「たね」に傍点]はどんなチャチなものでもかまわない。掴《つか》んだものが生きている。見る方、聴く方の、お客の方から働らきかけてくる神経の戦《おのの》きがある――そして、下座《げざ》にはおあつらえむきの禅のつとめ[#「つとめ」に傍点](鳴ものの名称)和讃やらお題目やら、お線香の匂いはひとりでに流れてくる。
 人情の弱点の怖いもの見たさ、客は昼も夜も満員――夜は通りの四つ角の夜店と、陽気な桜湯の縁台が、若衆たちのちぢまった肝ったまをホッと救う――



底本:「旧聞日本橋」岩波文庫、岩波書店
   1983(昭和58)年8月16日第1刷
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