律が変るといって諭《いまし》めたそうだ。私はいまこれらの事をよくきいておかなかったのを悔《くや》んでいる。娼妓解放と、この自由廃業とのことについて耳にとめておいたらば、もすこし報告的なことが書けたであろうに――
ともあれ金兵衛さんの生活は豪華だったものに違いない。私がもっている古裂《ふるぎ》れに、中巾《ちゅうはば》の絹縮みに唐人が体操をしている図柄の更紗《サラサ》がある。それを一巻《ひとまき》もって来て、私の着物の無垢《むく》に仕立たのも金兵衛さんの秀造おじさんである。六代目菊五郎の幼時にも、横浜からおなじ柄の着物をもらったというので、いつぞや裂地《きれじ》をくらべて見たが、秀造おじさんの手に入れたのの方が上等品であった。その他《ほか》に、好事《こうず》な手だんすだとか、古い竹屋町裂《たけやまちぎ》れでつくった茶ぶくさ入れだとかみな大名道具であった。私の父はよくいった。他人の泣きを悦《よろ》こぶ不浄な銭《ぜに》で買ったのだと。――
秀造さんの兄弟は、かなり有名な人たちであった。沼間守一《ぬまもりかず》という刑法学者、銀行家の須藤、代言人の高梨哲四郎――この人は長髪で騎馬へ乗り歩くの
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