っと末になって、今紫といった妓《こ》の晩年まで地方の劇場では売りものにしていた。その今紫には、土佐の容堂侯が硝子《ガラス》の大姿鏡《おおすがたみ》をかつぎこませたのを、うらやましがってお婆さんになってもその事ばかりいっていた女もある。金欄手《きんらんで》の陶器の高脚《コップ》で、酒盛りをしたものと見えて、私の家にも、その幾個《いくつ》かがきていた。
秀造さんは上野の(山内《さんない》の寺院《おてら》)のおちごさんで美貌《びぼう》で評判だったそうだ。振袖姿で吉原へ通って、吉原雀というあだ名[#「あだ名」に傍点]だった。鬼の金兵衛さんとよばれた楼主《ろうしゅ》の娘おやすさんに惚《ほ》れられて養子になった。このお父さんの方の金兵衛さんは大柄な人で、美男でおちごさんの婿には不服だったが、よっぽど娘が可愛かったものと見えて秀造さんを養子にした。
この、おやすさんという女《ひと》を、私が十一、二になってから見覚えている印象は、とても大柄なすらりとした――まだコートはない時分だったから、吉原から人力車《くるま》でくるのに、上に黒ちりめんの羽織を着てきて玄関で脱いでいた。下にもひとつ羽織を着ていた
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