を認められようというのだ。そして憲法は発布され、国会も開設されようというのだ。
そしてそこには幾多の衝突と犠牲があった。幕末からかけて五、六十年間、尊い血潮が流され、有為《ゆうい》の士の多くが倒れている。その最後が佐賀の乱、西南《せいなん》の役《えき》であるが、自由党の頭初《とうしょ》といい倒幕維新の大きな渦の中にはフランスコンミュンの影もかなり濃かったのではなかろうか、時代の流れ、思潮の渦は、この島国の首都をも捲《ま》きこんだのであった。
私はなんでそんなむずかしいことを言いだしたかというと、「娼妓《しょうぎ》解放令」についていいたかったからだが、あんぽんたんはそれを聞いておくにはあまり幼稚すぎた。いま私が語ろうとする、おぼろげながら私の頭に残る二人の男は、その当時での当世男であると思うが、いつでもきける話だと思っていた油断が父が死んでしまったので、私の記憶はただ外形だけのものとなってしまった。その一人を通称金兵衛さんといった松本秀造《まつもとしゅうぞう》という人と、秀造さんの妹《いもと》の御亭主|清水異之助《しみずいのすけ》という人だ。
秀造さんは吉原の大籬《おおまがき》金瓶
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